07 「お姉ちゃん、福屋さんに通ってるって本当?」 その夜、弟の勇太に言われた。 聞くところによると、夕方福屋のバスから降車して来る由梨の姿を、どうも勇太の友人に目撃されていたらしい。 「僕も、福屋さんに相談したい事があるの」 小学校低学年の勇太はそう言って、大事にしていた犬のおもちゃを持ってきた。壊れてしまったから、直して欲しいのだとか。 「? どうして福屋さんなの? これ買ったおもちゃ屋さんに持っていけば、修理してくれる店を教えてくれるかもよ?」 「そうじゃないの、福屋さんがいいの」 勇太はぶんぶん首を振った。 「学校で皆と話してたの。誰か福屋に頼みごとしに行ってみろって」 「学校で、福屋が流行ってるの?」 「クラスの皆が知ってるよ。金ピカの変な紙配ってるから」 初耳であった。由梨の通う高校では、福屋の事など話題に上がった事すらなかった。これが高校生と小学生の違いなのだろうか。 「お姉ちゃん福屋に行ったんでしょ? 僕も行きたい」 「行って、クラスの皆に自慢したい?」 「うん!」 小学二年生に千円は高いようで、興味はあるのに行動力が伴わず、勇気を振り絞って福屋に依頼をしに行った学友は、まだ一人もいないのだとか。 仕方がないので、由梨は福屋の初回料金の半額となる500円を、かわいい弟のために工面してやる事にした。 翌日の午後も、福屋は相変わらず駅前にいた。時計台の下にみどりの姿はなく、由梨が勇太と共にバスの前扉を叩くと、ふしゅーっと空気の抜ける音と共に扉が開き、眠そうな顔のみどりが「どうぞ」と2人を車内へ促した。 勇太はがちがちに緊張し、ステップを上がる足が震えていた。みどりは由梨と勇太を見比べ、 「弟さんですか?」 そう由梨に尋ねて来た。 「はい。福屋さんに頼みたい事があるみたいで」 勇太は震える手で、壊れたイヌの人形をみどりに差し出した。 「あ、あ、あのこ、こ、これを」 「……ウェルシュ・コーギー・ペンブロークのぬいぐるみですね」 差し出されたぬいぐるみの正確な犬種を言い当てつつ、みどりは眠そうな目をふっと細めた。 「修繕ですか?」 「は、は、はい、そう、です」 「ちょっと失礼しますね」 みどりは勇太から人形を受け取った。 「あ、重い……駆動式ですか? どこの調子が悪いんです?」 「動かないの。手が動いて、こ、声が出るはずなんだけど」 「電池は入れ替えてみました?」 「うん。でも、何にも動かない」 「そうですか」 みどりはカレスの名を呼び、運転席に姿勢を正して座っていたカレスに、ぬいぐるみを手渡した。 「小川様!」 かと思うと、突然勇太を振り返り、 「小川……ええと、お名前は?」 「ゆ、勇太」 「小川勇太様! あなたは実に運が良いです!」 そう強い口調で宣言し、みどりは勇太の両手を取った。 「機械の修繕や修復は、このカレスが大変得意とする分野です! 百発百中、飛ぶ鳥も落とす勢いで機械を直し続けるカレスに不可能はありません! その腕はまさに国宝級、壊れる前より更に優れた性能をお約束致します! そんなカレスの手による修繕をたった千円で受けられるなんて、あなたは何て運が良いのでしょう!」 「……運が良いの?」 「良いですよ、勿論です!」 勇太は小首をかしげた。困ったように由梨を見る。 「という事で、修繕費用は千円となります」 勇太の手を放し、みどりはニコニコ営業スマイルで由梨を見た。 由梨は財布から、500円玉二枚を取り出し、みどりに渡した。 運転席のカレスは、既に人形の背面カバーをぱかりと外し、ドライバー片手に人形の解体作業に取り掛かっていた。興味を惹かれた勇太は運転席の脇に駆け寄り、カレスの解体ショーを熱心に観察し始めた。 「あれ?」 由梨は、見渡した車内に諏訪がいない事に気が付いた。 「あの、諏訪さんは?」 500円玉をポケットに入れ、満足そうに微笑んでいるみどりに、そっと尋ねる。 「諏訪は賀端山です。今朝バスで行って、置いてきました。夕方には迎えに行く予定です」 「あ……例の見張りですか?」 「そうです。そろそろ定時連絡の時間ですね」 みどりは胸ポケットから携帯電話を取り出した。 「何か諏訪とお話ししたい事でもありました?」 「えっ? い、いえそんな、私は別に……」 思いがけず動揺してしまった由梨を、みどりが意外そうな目で見た。 「……ひょっとして、小川様」 「え?」 「……そうでしたか」 何やら勘付いた様子である。慌てた由梨は必死に弁解した。 「ち、違いますよ? 何か誤解されてませんか?」 「誤解? 何をです?」 「何って、その」 「恥ずかしがる必要ありませんよ。昔からあいつモテるんです、顔だけは良いですから」 「ちちち違います、何言ってるんですか? 別に私は諏訪さんの事なんかですね、あ、なんかって言うのは馬鹿にしてるわけじゃなくて、諏訪さんは素敵な方ですけど、でも私は別にそうじゃないんですよ、タイプじゃないんです、本当です」 テンパる由梨を、みどりはニヤニヤして見ている。 「赤くなってますよ?」 「……なってないです」 ぴっ、ぽっ、ぱっ 「どうぞ」 ニヤニヤしたまま、みどりは由梨に携帯を手渡した。 「えっ? な、なんでです?」 「もう繋がってますから」 「はいっ?」 『? もしもし?』 本当に繋がっている様子の携帯電話からは、訝し気な諏訪の声が漏れ聞こえて来た。慌てた由梨は、思わずその携帯を耳元に持って行ってしまった。 「あ、はい、すいません」 『……え? 小川さん?』 「は、は、はい、すいません、今仙波さんに変わりますね」 うろたえながらそう言って、由梨はみどりに携帯を渡した。 ころころ笑いながら携帯を耳元に持っていたみどりが、あれっ? と不思議そうに目を丸くした。 「切れてます」 「えええ」 どうやら、由梨が動揺のあまり、誤って通話終了ボタンを押してしまったらしい。 「ご、ごご、ごめんなさい……!」 「い、いえ、私こそすいません、ちょっと冗談が過ぎました」 お互いがお互いに頭を下げた。上げた顔を見合わせ、2人はえへっと笑った。 「……付き合ってらっしゃるのかと思いましたけど」 「私と諏訪が? ありえませんよ」 「意外です」 由梨は心からそう言った。 「よく言われます。ずっと一緒に旅をしているのなら、もう恋人同士なんじゃないかって」 「……」 「ありえませんから。大丈夫ですよ」 おかしそうに笑いながら、みどりは由梨の肩をぽんぽん叩いた。 もう一度みどりが諏訪に連絡を入れると、異常なし、と答えが返ってきた。 「大丈夫みたいですね。場はあれで安定しているようですよ」 「……あの」 「はい?」 「異常があったら、どうするんですか?」 あの湖を見張っている事に果たして意味があるのだろうか、と由梨は思っていた。 「異常があったら、それなりの対処を取らなくてはならないでしょうね」 「対処って、例えばどんな事を?」 「心配ですか?」 由梨の問いには答えず、みどりは曖昧な笑顔でそう尋ね返した。 「……はい、少し」 「大丈夫ですよ、手はいくつかあります。一番簡単なのは、この町から出て行く事です。倉多町の神話の届かないどこか遠くへ避難してしまえば、場の暴走に飲み込まれる事はありません」 「町から出て行く……?」 「あくまで、最終手段ですけどね。そうなる前に、我々が何とかしますから」 みどりは、問題ないと言う。 しかし由梨は、まだどこかに不安を抱えていた。 「直りました」 運転席から、わあっと歓声が上がった。勇太の声である。見ると、カレスから人形を受け取った勇太が、満面の笑顔を浮かべていた。 「どうぞ、頭頂部のボタンを押してみて下さい」 カレスに言われた通り、勇太がボタンを押すと、人形は両手を上げたり下げたりしながら、陽気なボサノバを流暢なポルトガル語で歌い出した。壊れる前より、腕の動きが迅速且つよりスムーズに、歌声ははきはきとしてよりクリアになっているように思えるのだが、気のせいだろうか。 「動いた! お姉ちゃん、ピー助が元に戻ったよ!」 弟はイヌの人形をピー助と呼んでかわいがっていた。幸せそうな笑顔を向けて来る勇太に、由梨は曖昧に微笑んで見せた。 「かわいらしい弟さんですね」 みどりは、金色のちらしの束から輪ゴムを外しながら言った。 「勇太様も、例の夢を?」 「……いいえ。勇太は我が家で唯一感染していなんです」 「あら、そうなんですか?」 「ええ。今のところは、ですけどね」 「……勇太様は、感染していない」 みどりは、紙の束を座席の肘掛けの上でとんとんと整え、 「感染する人と、しない人がいるのでしょうか……?」 由梨に尋ねながら、自分もそれについて考えを巡らせているようだった。 「そうかもしれません。実際、私の友人の高橋君なんかは、彼のお父さんが発症してからというもの、母親、弟、高橋君本人と、家族間にどんどん感染が広がりましたが、なぜか彼の姉だけは大丈夫だったらしいです」 「何かありそうですね」 「何か?」 「なぜ勇太様や、その高橋君のお姉さんは、身内が次々と湖の夢を見始める中で、感染を免れたのでしょう?」 「……うーん、さあ」 「もしくは、感染したのに、発症しなかったのかもしれません。湖の夢を発症する人には、発症する人にのみ共通する何らかの法則があるのかもしれませんね」 「法則ですか」 「ええ。ちょっと気になりますね」 言いながら、みどりは右目の下の泣き黒子を撫でた。 みどりは由梨に頼んで、知っている限りの感染者とその家族構成を紙に書かせた。 何の役に立つのだろう、と由梨は思った。 次へ(08) 前へ(06) 連載ページへ |