04






席に着くとすぐ、運転席から諏訪則人が急須と湯のみをお盆に載せて現れた。
「あら? お茶菓子は?」
それを見て、女性   みどりが尋ねる。
「在庫切れです。……どうぞ。熱いので気をつけて下さい」
答えながら、諏訪は白糸のような湯気のあがる桃色の湯のみを百合に手渡した。
「カステラがありませんでした?」
「この前皆で食べちゃったじゃないですか」
諏訪はみどりにも若草色の湯のみを渡し、自身はお盆を抱え、みどりの隣のシートに腰を降ろした。
「それは良くありませんね。せっかくお客様がいらしてるのに、お茶菓子のひとつも出ないなんて」
「あの、別にいいですよ? お茶だけで充分ですから」
気遣わしげな百合の言葉に、しかしみどりは眉根を寄せた。
「しかし、小川様は倉多町で第一号目の大事なお客様ですし」
「……一号?」
「そうなんです。この町に来て、かれこれ一週間以上たつんですけど、どういう訳か依頼が一件も来ないんですよ」
諏訪が言った。そういえば、福屋の黄金バスを百合が初めて目撃したのも、一週間くらい前だった。
「なので、すっかり財政難でして。お茶請けのひとつも用意できない有様です」
「申し訳ありません小川様。せっかくお越しいただいたのに、非礼をお許し下さいませ」
諏訪とみどりに揃って頭を下げられた。百合は非常に先行きが不安になったが、曖昧に微笑んでおいた。
「……あ、じゃあ、これ食べませんか?」
ふと思いつき、百合はそう言って、持っていたレジ袋を掲げて見せた。百合はレンタル屋に行く前コンビニに寄っており、レジ袋の中には菓子類とペットボトル飲料が入っていた。
「ちょっと多く買いすぎちゃって。お茶菓子にはあんまり適さないかもしれないですけど、良かったらどうぞ」
みどりはポカンと口を開け、
「……いえ、いえ! お心遣いは有難いのですが」
拒絶された。
「勿体無いです! お客様から物を頂くなど、恐れ多いことですので」
「いいじゃないですか、ちょうどお茶請けが欲しかったところです」
気後れするみどりに対して、諏訪は由梨が差し出したレジ袋をさっさと覗き込み、中の物品を品定めし始めた。
スルメ。ポッキー。柿ピーにポテトチップス……。
「ちょ、ちょっと諏訪」
「お客様のお心遣いを無駄にしてしまう事の方が、失礼なんじゃないですか?」
「そんな事言って、あなたはお菓子が食べたいだけでしょう」
「そうですね」
はあ、とみどりは溜息をついた。
「良いですよ、何でも食べてください」
2人の様子を見ていた百合が、ふふっと笑みを零した。




福屋とは町から町へとわたる根無し草、もとい根無しバスであり、生活費の一切をその日の依頼料でまかなっていたが、1週間ほど前に別の町からこの倉多町へと引っ越して来てからというもの、どういう訳か仕事の依頼が一件も来ず、つまり収入が0になってしまったため、それはそれは悲惨な極貧生活を送っていたのだと言う。わずかにあった蓄えも風前の灯火、その日の晩飯にも困る暮らしで、空腹を通り越して飢餓状態に陥っており、客引き中のみどりがやけに辛気臭く異様に見えたのは、本当に彼女に生気がなかったためらしい。
……飢餓状態って。
「それで、我々にご相談というのは?」
福屋に足を踏み入れた事をだんだん後悔し始めていた百合だが、一瞬の躊躇の後、みどりに促されて口を開いた。
「その、夢について、なんですけど」
「夢?」
のりしお味のポテチを右手でつまみながら、みどりが由梨の言葉を反芻する。由梨は、ストロベリー味のポッキーを一本食べただけで、後は諏訪に貰った緑茶をちびちびと飲んでいた。
「はい。ある夢が、町で流行っているんです……それこそ、流行病みたいに」
自分が知っている限りの『湖の夢』に関する情報を、それまで占い屋や探偵事務所でしてきたのと同じように、百合はみどり達にも説明した。占い屋等と違って、町の人間ではないみどり達は、予想通り『湖の夢』の事を全く知らないようだったから、由梨はまず湖の夢の内容からいちいち説明しなくてはならなかった。
感染する夢の話し   
そんなものを、彼らが信じてくれるだろうか。馬鹿げていると一蹴されやしないだろうか。一抹の不安を抱えていた由梨だが、それは杞憂に終わった。みどりと諏訪は、とても熱心に由梨の話しに耳を傾けた。
「森の中の、青い湖?」
それまで黙って話しを聞いていたみどりだったが、ふと由梨にそう尋ねた。
「はい」
ちらりとみどりは諏訪を見た。諏訪もまた、みどりを見ていた。
「その夢は、人から人へ、感染するんですね?」
「……はい。多分、そうだと思います。現に、私の母が感染して間もなく、父もその夢を見るようになりました。そうやって夢は町中に広がっているんです」
湯のみを握る由梨の指に、きゅっと力が篭った。
「町の皆はお気楽が過ぎます。この夢は、もっと警戒すべきだと私は思うんです。良くないものだという予感がするんです。上手く言えないんですけど、怖い感じがするんですよ。実はその……」
視線を泳がせ、由梨は言い淀んだ。
「私も、その、見てるんです。感染してるんです」
「……」
「数日前から見るようになって……毎晩眠るのが恐ろしくて」
言いにくい事だったが、今現在自分が持ち得る全ての情報をきちんと彼らに伝えなくては、せっかくお金を払ってまで相談している意味がなくなってしまう。
「そんなに、恐ろしい夢なんですか?」
みどりの問いに、由梨は首を振った。
「いえ。夢の内容自体は、本当にただ湖畔に立っているだけなんですけど……何と言うか、気味が悪いんです。もう見たくないのに、無理やり見せられてる感じがして、不快なんです」
夢が怖いと言うより、夢を見る事が怖いのである。話しを聞き終えたみどりは、湯のみに残っていた三杯目となる緑茶の最後を啜り、諏訪の膝の上に置かれていたお盆の上に、空になった湯のみをそっと置いた。
「夢を追い払う方法ですか」
小声で呟いた後、がばりと唐突に立ち上がり、
「図書館に行きましょう」
そう言った。
「え?」
「一番近い図書館まで、案内していただけませんか? ……諏訪、小川様の依頼はひとまず私が引き受けます。あなたはここで待機。カレスが戻ってきたら、私は仕事に出掛けたと伝えて下さい」
言うなりみどりは運転席へ向かい、窓際にかけてあった黒いロングコートを手に取った。
「え、あの、なんで図書館なんですか?」
まさか、図書館の膨大な蔵書の中から夢を追い払う方法を探し出そう、とか言い出す気なのか。由梨の考えを知ってか知らずか、コートを羽織ったみどりは由梨を振り返り言った。
「まずは敵を知る事です。行きましょう」
由梨は困惑したが、とにかくみどりに従うことにした。




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