03






福屋のバスはいつも駅前に停まっている。夜になると何処かへと走り去って行くようなのだが、日中はほぼ必ず、駅前ロータリーの一角を占拠し、時計台の下の小さなベンチに従業員らしき女性が座り、大きなプラカードを掲げて客引きをしている。

福屋、こちら⇒

真白いプラスチック製のプラカードには、黒字ででかでかと、それだけが書かれている。
その客引きをしている女性というのが、どうにも辛気臭いのである。紺色のブレザーにミニスカート、ストッキングはスキニーベージュ、足先には真赤なハイヒールを履き、首元には緑色のスカーフを巻いている。長い銀色の髪の毛を、バレリーナのように後頭部でシニヨンにしている。プラカードを抱えて持ち、いっつも俯いていて、頬はげっそり、細い肩は触れれば崩れて溶けてしまいそうだ。格好がきっちりとしているだけに、そのやつれっぷりが余計に際立っていた。どうにも声をかけられる雰囲気ではないのである。
由梨はその日、邦画のDVDを借りようと、駅前のレンタルビデオ店を訪れていた。しかし目当ての準新作DVDは全て借りられており、がっかりして何も借りずに店を出た折に、時計台の下に、福屋のプラカードを掲げて持つ例の女性の姿を見つけたのだった。

福屋、こちら。
初回は千円。

ちょうど由梨の財布の中には、使うつもりだった千円札が未使用のまま残っていた。

占い屋に行った。
医者や、神社や、探偵事務所にまで、由梨は湖の夢の事を相談しに行った。
思い詰めての行動ではなかった。由梨にはどうしても例の夢が悪いものに思えてならず、母や父が感染していくのを目の前で見ていながら、何もせずに放置する事など出来なかったのだ。何となく嫌な予感がするから、何となく夢について知っていそうな人のところへ相談しに行った。しかし成果は上がらず、夢についての明確な助言をしてくれた人は一人もいなかった。
(何でもお気軽に、ね……)
なんとなく、なのである。由梨の行動は、常になんとなくの衝動で決まる。
頼れそうなところは、頼ってみようか。よし、と由梨は意を決し、スナック類の詰まったレジ袋を揺らしながら、プラカードの女性に駆け足で近付いた。


「あの」
声をかけると、女性はひどく緩慢な動作で顔を上げた。
思いの他、女性は若かった。由梨より少し上か、ほとんど同い年くらいだろうか。
しかも、美人である。
ここまでげっそりとやつれていても、同性の由梨ですら惚れ惚れとしてしまう、すっと整った目鼻立ち。右目の下には、艶っぽい泣き黒子。女性は紅色の唇をわずかに開けて、何事かを呟いた。
「……え?」
女性の声は小さすぎて、由梨には上手く聞き取れなかった。なんですか、と言われたような気がした。
「あの、福屋さんに、相談したい事があって来たんですけど」
「……はい?」
由梨の言葉に対し、女性はなぜか胡乱げな眼差しを向けてきた。由梨は一瞬戸惑ったが、声をかけてしまったものは仕方がない。
「え、あの、ですから、福屋さんに」
「仕事の、依頼ですか……?」
「は、はい。そうです」
女性の両瞼が、ゆっくりゆっくり、上へと押し上げられていった。
『信じられない』
女性の顔には、そう書いてあるように見えた。
「……お名前は?」
「小川です。小川由梨です」
「小川様」
「はい」
女性は数回瞬きし、口をぱかりと半開きにし、そして、持っていたプラカードを、ぽいとその場に投げ捨てた。
「……では、事務所へご案内します、どうぞこちらへ」
女性は、白手袋を嵌めた右手を、ぎこちなくバスへと向けた。
由梨は女性に言われるまま、福屋の黄金バスへと歩を進めた。


こんこん、と女性が窓をノックすると、五秒程かけてゆっくりと黄金バスの前扉が開いた。
「あ、あ、あの」
すると突然、前を行く女性が、百合の方をがばりと振り返って言った。
「本当に、間違いないですよね? 我々福屋に、ご依頼ですよね?」
やけにしつこい女性である。最初からそうだと言っている。
「そ、そうです。福屋さんに、です」
「……そうですか」
由梨はぎょっとした。女性がいきなり泣き出したのである。
無表情のまま、女性はぽろぽろと涙を零す。由梨はおろおろした。
「その、すいません。そうですよね、間違える訳ないですよね」
「え……ええ」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……!」
「いえ、そんな」
深々と頭を下げる女性に、由梨は恐縮して反射的に自分も頭を下げた。
「私ども福屋一同、小川様のご期待に添えるよう、精一杯お仕事させていただきます。さあ、どうぞお上がり下さい」
涙目の女性は、そこで初めて笑顔を見せた。ほっこりと頬が膨らみ、ぽろりと目尻から涙の粒が零れ落ちた。無表情の時は美人顔だが、笑顔は幼くかわいらしい。
笑顔の女性に促され、由梨はステップに足をかけた。
「なんですか車掌、まだ時間じゃないですよ」
開いた前扉の先から、男性の声が降りて来た。女性は三段あるステップを上がりきると、運転席に向かって怒鳴りつけるように言った。
「お客様です」
「は?」
運転手用の低いシートの上には、紺のブレザーを着た黒髪の青年が座っていた。大きなハンドルにつっぷしていた青年は、女性の言葉を聞くと、弾かれたように顔を上げた。
「客?」
「ええ。小川由梨様とおっしゃいます」
寝起きどっきりをされた直後の芸人のように苦々しげな顔をしていた青年は、女性の背後に立つ由梨を見るや否や、敵に囲まれたコノハズクのような目になって固まった。
「……え? スカウトした人?」
「違います。……スカウト?」
「いえ、前に車掌が、福屋の看板娘が必要だから自分達の手でアイドルを育成しようって」
「それとは関係ありません」
「……客?」
まじまじと青年が由梨を見つめる。お客様です、と女性が訂正した。
顔だけ見ると、青年は中々の好青年であった。品のある優しい印象の顔立ちなのだが、表情が良くない。目つきは悪いし、眉間には皺が寄っているし、髪の毛はぼさぼさだ。
「小川様、どちらでもお好きな席にお掛け下さい」
青年に向けていたぶっきらぼうな態度とは打って変わって、猫を撫でるような声で女性は由梨に言った。
どこでも……と言われても、由梨は困ってしまった。黄金バスの内部は、丸っきり路線バスそのものだった。一人掛けの青いシートがずらりと並び、赤いシルバーシートや、壁には『次停まります』のブザーまでついている。つり革に手すり、中吊広告(全て福屋の黄金ちらし)、後ろ扉の手前の床には、黄色い線まできちんと入っている。
廃棄された路線バスを再利用しているのだろうか? 事務所的に改造された内部を想像していた訳ではないが、由梨は少々面食らった。どこに座るべきかと悩んだ末、“運転席の2つ後ろの席”に腰掛けた。その席は、普段由梨が路線バスを利用する際に好んで座る定位置だった。席の座り心地も、固くも柔らかくも無いこの素材は、いつも使っている路線バスのシートそのものである。
「諏訪乗務員、お客様にお茶をお出しして下さい」
青年に向けて女性は言いながら、横向きに設置してあるシルバーシートのひとつに腰を降ろした。正面を向いて座っている由梨の、通路を隔てた左隣に、由梨の方を向いた女性が座っている格好である。
由梨は何だか落ち着かなかった。運転席の方から、こぽこぽと液体を容器に注ぐような音が聞こえた。
「申し遅れました」
女性が言った。由梨は両手を両膝の上に置き、首だけを女性に向けた。
「福屋の代表を務めております、仙波みどりです。運転席に座っている男は諏訪則人、従業員は他にもう一人いるのですが、そちらは今ちょうど仕事で出払っておりまして、戻り次第紹介させて頂きますね」
「あ、……は、はい」
「小川様は、当車を利用されるのは初めてですよね? 只今キャンペーン期間中でして、初回のお客様に限りましては、どのようなご依頼も一律千円で承っております。ただしお支払いは現金のみとなっておりますが、よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
どうでもいいが、この座席の配置は非常に会話がしづらいな、と由梨は思った。
前払いだと言うので、由梨は財布に入っていた千円札を、横に座っている女性に手渡した。女性は席から立ち上がり、折り目正しく頭を下げながらそれを受け取った。





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