04










警官隊が次々と劇場に現れた。
拳銃を構え、ヘルメットを着用。防弾チョッキまで装備の厳戒態勢である。
出迎えたのはジュディとラスティだった。足音を忍ばせながら客席を走り抜けて来た警官隊を舞台の上から見下ろし、穏やかな微笑を浮かべる2人は、リュックサックから取り出した各々の楽器を手にしていた。
ジュディがヴィオラ、ラスティがヴァイオリン。
「アレハンドラ様ですか?」
警官の一人が双子に言った。ジュディ・ラスティは揃って頷く。
「ご無事で何よりです。今保護致します」
緊張感を緩めずに近付いて来た警官に、ラスティが待ったをかけた。
「お待ちなさい。まだあなた達の元へ行く訳にはいかないわ」
「……どういう事ですか?」
「脅されてるんだ。ごめんね、これは僕達の意思じゃないんだけど……」
「退路を確保しなくてはならないのよ。あなた達に悪気があるわけじゃないんだけど、犯人達の要求だから、従うしかないの。私達だって殺されたくないもの」
下手な俳優のような仕草で、ジュディ・ラスティはやれやれと頭を振った。
咄嗟に警官隊が身構える。
   という事で、五番かな?」
「七番でしょう?」
ころっと表情を笑顔に変えて、ジュディとラスティは持っていた弓を、楽器の弦にそっと押し当てた。
こんな場面で、2人は演奏をはじめるつもりのようだった。
「……まずい、耳を塞げ!」
それを見た警官隊の内の一人が、強張った声を上げた。
ほぼ同時に、2人の演奏が始まる。
ヴィオラとヴァイオリンのための変奏曲、第七番。二重奏だった。ジュディの作曲である。
遊ぶような歌うようなハーモニーが、アンダンテのリズムで繰り返される。張り詰めていた劇場内に、爽やかでクラシカルな旋律が鳴り響く。
警官達は呆気に取られ、二人の演奏に聞き入った。
洗練された、美しい演奏。
「……うっ」
聞いていた警官の一人が、苦しそうに呻きながらその場に倒れこんだ。
続けて一人、もう一人と、胸や腹を押さえてその場に蹲る。
“悪魔の旋律”
2人が天才と呼ばれる所以のひとつが、これであった。
警官達は慌てて耳を塞いだが、意味はなかった。まるで糸の切れたマリオネットのように、ばたりばたりと次々その場に崩れ落ち、場は一時騒然となった。




双子から渡されたシリコン製の耳栓をしっかりと嵌めて、福屋の3人は舞台の隅からその様子を眺めていた。
絶対に自分達の演奏を聞くなと、双子からは強く念押しされていた。
恥ずかしいから、聞かれたくない訳ではない。もし双子の演奏を少しでも聞いてしまえば、福屋の3人も“ああ”なってしまうからだ。
しばらくすると双子がこちらを向いて、耳に手を当てて離す仕草をした。
指示の通りにみどり達が耳栓を外す。楽器を手に持ったまま、双子が笑顔で駆けて来た。
「もう良いよ。逃げよう」
「門の方は封鎖されているはずだから、急いで裏口に周りましょう」
双子に従い、走り出す。舞台の上から見渡した客席は、死屍累々といった様相だった。
「凄い効き目ですね」
諏訪が独り言のように言った。確かに、とみどりは思った。
地面に蹲り、うーんうーんと苦しそうにうなされているもの。
座席に腰掛け、呆然と夜空を見上げているもの。
双子の音楽によって、駆けつけた警察官達の身に一体何が起こったのかは分からない。とりあえずの戦闘不能状態に陥っている彼らに背を向けて、一向は劇場を後にした。



裏口にも既に数人の警官が控えていたが、劇場でやったのと同じように、双子が悪魔の二重奏を演奏し、全員が倒れ込んだところを駆け足で通り抜けた。
その後は、待ち伏せも、追っ手が迫る気配もなかった。
人気のない夜の住宅街を、バスを停めた空き地まで一気に走り抜ける。仄かに灯った家々の明かり、どこからともなく漂ってくる夕食の匂い、家族の楽しげな談笑   平和一色の住宅街を、死ぬ気で、必死に、汗にまみれてみどり達はとにかく走った。
ようやく駐車場に辿り着き、雪崩れ込むように車内へと駆け上がる。カレスが運転席に座り、キーを挿してエンジンを入れ、ハンドルを握り締めたところで、ようやくみどりは自分たちがひとまずは安全を手に入れた事を確信した。
「ね? 上手くいったでしょ?」
走り出した車の中で、ヴァイオリンを鞄へ仕舞いながら、ラスティが弾んだ声を上げた。あれだけ走った後だというのに、ラスティは息ひとつ切れていない。
対するみどりは息も絶え絶え、左最前列の席にぐったりと座り込み、酸欠にあえぐ喉と肺を慌しく上下させていた。運動は得意な方のみどりだが、緊張状態で、それも、走りにくいハイヒールでの全力疾走は、流石に堪えた。
「僕達の演奏に感動しない人はいないんだ。何たって、僕らは天才だからね」
ジュディはヴィオラを握り締めたまま、完璧だった演奏の余韻に浸っているようだった。
感動。
それが、警官達が卒倒した理由だと、双子は言う。
昔からそうだった。2人の演奏は、どうしようもなく人々を魅了した。
聞く者を骨抜きにし、時には意識すら奪ってしまう。独奏ではなく、二重奏に意味があった。どちらか一人の演奏では、人々を卒倒させてしまうほどの感動を作り出す事は出来なかった。二人一緒に、それも、彼ら自身が作曲した曲を演奏した時にのみ、人々の意識を奪う程の破壊的な衝動は生み出された。
ジュディとラスティは天才的な演奏家でありながら、天才的な作曲家でもあった。ジュディが作曲した変奏曲は、五番よりも七番の方が“破壊力”が強いらしい。
(感動……?)
呼吸を整えたみどりは、胸の中で一人、首を傾げた。
(感動で、人がああなるものだろうか?)
双子の演奏を聞かされた警官達の様子を思い出す。どうもあれが感動によるものだとは思えない。
ウィンベルトは音の都である。
土着の神話にも、音楽は深く関わっている。
双子の演奏には、きっと何か秘密がある。背綿帯にも音楽が絡んでいる。双子の音楽と背綿帯に、何か関わりはないのだろうか?
諏訪に意見を求めたかったが、双子の前で出来る話しでもなかった。後部座席を見ると、諏訪は2人掛けの席の窓側に座り、帽子を脱いで外を見ていた。




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