03












双子から自宅の大体の住所を聞き、福屋の黄金バスはオスキャルドへ向かった。
日はすっかり沈み、ウィンベルトの町には冷たい夜闇が降りて来ていた。オスキャルドに入ると、狭い小道が多くなり、福屋は一旦バスを駐車場に停めて、そこから徒歩で2人を家まで送り届けることにした。
夜道は危険だから家まで付いて来て欲しいと、双子に依頼されたのである。
賑やかなのはオスキャルドの中心地のみで、双子の自宅があるという区域は、ひっそりとした閑静な住宅街だった。途中見つけた公衆電話で、双子が自宅の母親に連絡を入れた。果たして電気が通っているのか怪しい古びた公衆電話だったが、双子は受話器越しにきちんと相手と会話しているようだった。
「この向こうだよ」
そう言ってジュディが指差したのは、家々から少し離れた場所に立つ、大きな鉄製の門扉だった。
赤錆びた柵の門扉は、有刺鉄線でがんじがらめに封鎖されている。
これが、彼らの家?
「近道よ。家の庭に繋がっているの」
脇の外塀の一部が崩れて穴が空いており、双子はそれを躊躇なく通り抜けた。
諏訪とカレスも続く。四つん這いになって穴を潜る事に、ミニスカのみどりは若干の躊躇を見せたが、辺りが暗く人気も無かったため、最終的にはこれも仕事と割り切った。
門の中はどこかの庭園のようで、水の枯れた噴水や、雑草だらけのプランターなどが、ヒビ割れたまま放置されていた。もう使われていない施設のようだが、勝手に入って良い場所なのだろうか。
朽ちかけたベンチ。
雑草の好き放題に生えた歩道。
どれだけ進んでも、家らしき建物はひとつも見えて来ない。外の車道に立ち並ぶ外灯の明かりが辛うじて届いてはいるが、光源と言ったらそれくらいのもので、園内はひどく薄暗かった。
手入れの一切されていない庭園を抜けると、小さな野外ホールが見えて来た。ステージがあり、客席がある。ステージの床は一部が腐食し、ただれている。
やはりどこにも、建物はおろか、家の明かりすら見当たらない。
「……本当にこちらで合っているのですが?」
だんだん不安になってきたみどりが言った。双子を疑うわけではないが、こうも暗いと道を誤ってしまう可能性だってある。
「ええ。もうすぐよ」
ラスティの言葉通り、程なくしてようやく、建物らしき大きな影が一向の前に姿を現した。
明かりの類は一切ついていない、闇の塊と化しているその建物は三階建てで、窓という窓にカーテンがかかっている。これが自宅? 外壁にはツタが絡まり、随分と生活感のない家である。
「こちらが、ご自宅ですか……?」
訝しんでみどりが尋ねる。双子は急に立ち止まった。
「もういいかしら?」
「そうだね、ここまで来れば……」
何やら2人だけでこそこそ話し合い、ゆっくりとみどり達を振り返る。
ラスティが、肺に大きく息を吸い込み、
   嘘よ!」
声と共に、力強く吐き出した。
「嘘なの。ここが家への近道なんて、全くの嘘!」
「僕達の家は、オスキャルドのもっともーっと東の方にあるんだ」
「位置からしてぜんぜーん違うの! 残念でした」
きゃぴっと愉快そうにラスティは笑った。ジュディも満面の笑顔である。
嘘?
ふーん?
……。
「……何ですって?」
はっとしてみどりは顔色を変えた。嘘、つまり、ここに彼らの家はない。
「最初に宣言したじゃん、家に帰る気はないって」
「家の場所なんて教えるわけないでしょう? ふふ、ごめんなさいね、騙すような真似をして」
「……何故ですか?」
どっと疲れが押し寄せてきた。みどりは純粋に、理由が分からなかった。
なぜ嘘を?
時間稼ぎ?
家へ連れ戻されるまでの時間を、少しでも引き延ばそうと抗っているのだろうか。楽しくて仕方ないといった様子のラスティが、小踊りしながら口を開いた。
「ここはね、旧フランソワ劇場っていう場所なの。幾人もの著名な音楽家達が、そこの野外音楽堂でコンサートを行ったの。音楽を志すものなら、誰もが一度は夢見た憧れの舞台なのよ」
「その建物は僕らの家じゃなくて、休憩所。演奏家の人たちが舞台の合間に休むところさ」
「私達は演奏家なのよ。ジュディがヴィオラで、私がヴァイオリン。“ハンメルンの双子”と言ったら、業界ではちょっとした有名人なんだけどなぁ」
「やはり、そうでしたか」
そこで、カレスが言った。
「ジュディ・ラスティと聞いて、もしやとは思っておりましたが、まさかあなた方が、かの有名なハンメルンの双子だったとは」
「……何ですか? カレスはお2人をご存知だったんですか?」
「存じておりました。ジュディ・アレハンドラに、ラスティ・アレハンドラの御双子と言えば、ガリアス・アレハンドラ嬢のお子様であり、その才能を受け継いだ天才音楽家として、広く名が知れ渡っております。音楽に通じている者にとって、ハンメルンの双子はほとんど神とも呼ぶべき存在です」
「ガリアス・アレハンドラ?」
その名前を聞いた瞬間、みどりの顔色がさっと変わった。
「お察しの通り、ガリアス様とは、アレハンドラ宮殿に住んでらっしゃるお姫様のことで   
「違うよ、ママは別にお姫様じゃないよ。元は平民だったけど、王室から“ノーブル”の称号を頂いたからちょっと周りより偉くなっただけって、ママはいつも言ってるもん」
「そうよ。確かにママは美人でスタイルも良いけれど、お姫様なんかじゃないわ。れっきとした歌手なのよ」
カレスの言葉を遮り、双子が口々に反発した。
みどりは眩暈を覚えた。
なんだって?
あの、アレハンドラ宮殿の子供達?
そんな高貴な身分の子供達が、どうしてこんな所にいる? お供も護衛も付けずに、どうして自分達のバスに乗り込んで来た?
とても信じられなかった。カレスの勘違いか、双子の口からでまかせだろうとみどりは思った。

うーうーうー

どこか遠くで、サイレンが鳴っている。初めは微かだったその音が、少しづつこちらに近付いて来ている。
パトカーか救急車のものだろうか。この辺りで、何か事件でもあったのか。
「……困りますよ?」
呟くように、みどりが言った。
「そういうのは、ちょっと困りますよ」
嘘は困る。何が本当の事なのか分からなくなってしまう。彼らが本当に音の鳴る雲を見たのかどうかさえ怪しくなってしまう。
「うん、ごめんね」
悪気があるようにはあまり聞こえない声で、ジュディがそう謝った。
   とりあえず、戻りましょう」
みどりはほとんど溜息交じりだった。別に何が嘘でも良い、自分達は依頼人に従うだけなのだが、疲れている時にさらに疲れるような事をされると、流石のみどりも気力が萎えてしまう。バスに戻り、一度態勢を整えよう。カレスの特製ノートPCでジュディ・ラスティの事を調べ上げ、出て来た住所に無理やりにでも送り届けよう。
「あら、それは無理だわ」
間髪入れないラスティの言葉に、みどりは眉間に皺を寄せた。
「なぜですか?」
「だって、もう無理なんだもの」
答えになっていないが、みどりは何か悪い予感がした。
「来ちゃったみたいなんだ。結構早いね」
「来た?」
「ふふ、知りたい?」
ジュディとラスティは手を握り合い、体を寄せて微笑んだ。
「何が来たのか、私達が何を呼んだのか、教えて欲しい?」
「僕らはどうして、わざわざ嘘をついたんだと思う?」
「ここにあなた達を連れてきた理由は何?」
「それはね」
「……タイホしてもらうためなのよ」
「車掌さん達は、アレハンドラの子供達を攫った犯罪者として、この場所で、ウィンベルト警察のお縄にかかってしまうんだよ」
「ああ、かわいそうね、ジュディ。ウィンベルト警察はとっても厳しくて怖いから」
「そうだねジュディ。かわいそうすぎて、ぞくぞくしてくるね」
くすくす笑う双子の目が、わざとらしく細められた。
みどりは言葉が出なかった……というより、双子の話す言葉の意味が分からなかった。
逮捕?
誰が?
「さっき私たち、電話ボックスで電話をしたでしょう? あれは自宅じゃなくて、本当は警察に通報を入れていたのよ」
「僕達はフランソワ劇場にいます、悪い人達に連れまわされています」
「助けてくださいって、それだけ言って電話を切ったわ」
「……何でそんな」
みどりは本格的な立ち眩みに襲われた。では、先ほどから聞こえている、このサイレンの音は   


ガリアス・アレハンドラは、ウィンベルトが誇るソプラノ歌手で、“奇跡の歌姫”と絶賛されたその類稀な歌唱力と表現力は世界中を魅了し、王室から“ノーブル”の称号を与えられた唯一の市民である。
貴族制を布いているウィンベルトにおいて、ノーブルの位は上流貴族とほぼ同等とされている。
ガリアス夫人は今朝から、子供達が居なくなったと半狂乱で騒いでいた。子供達というのはもちろん、ジュディ・アレハンドラとラスティ・アレハンドラのことであり、彼らは母親に無断でこっそりとアレハンドラ宮殿を抜け出し、福屋の黄金バスに乗り込んだのだ。
そうでもしないと、紫雲を探しに行くことなど出来なかった。厳しい母親の事だから、どれだけ頼み込んでも紫雲探索を許してくれる筈がない。
だから無断で、秘密裏に。
そんな子供達の行動を、ガリアス夫人は誘拐だと勘違いした。夫人は2人の失踪を知ってすぐ、子供が攫われたと警察に通報した。


自分達は、何かこの双子の気に触るようなことをしただろうか。道で偶然出会い、乗せろと言うので車に乗せ、ずっと一緒に雲を探し回ったというそれだけで、なぜ逮捕などされなくてはならないのか。
「分かってるわ。車掌さん達には、私達を攫う気なんてまるっきりで無かったって事、私達が誰よりもよーく分かってるわよ」
「だから大丈夫さ。たとえ警察に福屋さんたちが捕まったとしても、裁判になったら僕らがちゃんと証言してあげるよ。この人たちは無罪です、全部僕達のお遊びでした、ってね」
「……」
「その変わり、条件があるの」
「僕たちに無実を証明して欲しいのなら、これだけは守って欲しいっていう条件がね」
双子は、もったいぶって間を置いた。
「僕たちは雲を見つけたい」
「けれど家に帰れば、そのまましばらく家から出してもらえなくなるわ」
「それでは困るんだ。雲を探せない」
「協力者がいるのよ」
「あなた達さ」
「一緒に雲を探しなさい」
「見つかるまで探すこと。その間、僕らを決して家には帰さないこと」
「もし約束をひとつでも破れば、即座に証言を取りやめるわ」
「それどころか、敵にまわるよ。福屋に無理やり誘拐されたって言いふらすからね
それが条件だ、と双子は言った。
(……そんな事のために)
みどりは信じられない気持ちでいっぱいになった。 そんな事のためにわざわざ警察を利用し、自分達を犯罪者に仕立て上げたというのか。
何てアホらしい。
「さあ、どうするの? 条件を飲む?」
「それとも警察に捕まって、一生を棒に振る?」
パトカーの音はどんどん近付いて来ていた。一部が門の前で止まり、こちらへ向けて大勢が駆けて来るような気配があった。
さあ、さあ、さあ。
ジュディ・ラスティが詰め寄る。彼らは楽しんでいる。ただひたすらこの状況を楽しんでいるのだ。
「警察があなた達の嘘を真に受け、私達を逮捕し処罰すると本気でお思いですか?」
「当たり前よ。私達はノーブルだもの。対するあなた達はただの旅人。不利なのはどっちか、明らかよね?」
最後の抵抗のつもりだったのだが、あっさりとかわされた。その通りだ。貴族性において、貴族の証言は絶対視される。
警察に追われながらの捜索になる。きっと大騒ぎになるだろうし、ジュディとラスティも無傷では済まないはずだ。
覚悟の上だ、とジュディは言った。
異常だ。 それ程までに背綿帯を見つけ出したいのか。
「……しかし、仮に私たちが今ここで協力を約束したとしても、もうどうしようもないのではありませんか? この庭園は、既に警察に包囲されているのでしょう? 脱出は不可能なのでは」
「ふふ、私達を誰だと思っているの? そんなの、最初から脱出のための策を用意しているに決まってるじゃないの」
「策?」
「協力を約束してくれるのなら、教えてあげるよ」
「……」
どうしようか。みどりはカレスを見た。
にこにこ笑顔で頷かれた。続いて諏訪を見る。まるで他人事のような顔をして、みどり達から少し離れた位置に立ち、明後日の方向を向いている。
決断は全て、みどりに任せる。
カレスと諏訪は、暗にそう言っていた。
「……そうですね」
どうしようもなく疲れ果ててしまったみどりは、へなへなと口を開いた。
「分かりました。是非私たちに、雲探しを手伝わせてください……」
弱々しい声で、そう言った。
「うんうん。殊勝な判断だわ」
「車掌さんなら、そう言ってくれると信じてたよ」
ばんざーい。双子の勝利だった。
   引き返せば良かった)
おかしいと思った時点で、道を引き返しておくべきだったのだ。ノーブルに手を出せば、王室が動き出すだろう。逃げ場があるのかも定かではない。なんだか自ら蜘蛛の巣に飛び込んでしまった感が否めないみどりだったが、そうこうしている間にも、警官らしき気配は続々とみどり達の元へ迫っていた。




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