02







「その紫雲ですが、“背綿帯(はいめんたい)”である可能性が高いと思いますよ」
諏訪が言った。走り続けるバスの車内で、一向は各々座席に腰掛け、諏訪の言葉を聞いていた。
「背綿帯は、神話の効力がまだ強い地域に時折出現します。元々は何か大きな存在の一部だったのですが、本体からはぐれてしまい、結果的に物としての形を失ったものです。綿が帯状に集まり空中を漂っているように見えるので、背綿帯と呼ばれています」
「大きな存在って?」
ラスティが尋ねた。ジュディとラスティは、横向きに設置されているシルバーシートに並んで座っていた。
「色々あります。神そのものだったり、神の使っていた神器や武器だったり、本当に色々です。神や神話に纏わるものであれば、何でも背綿帯に変質する可能性があります」
「じゃあ、あれは神様の一部なの?」
「そう言ってしまうと語弊が生じますが、そうですね、そんなようなものです。神から抜け落ちた髪の毛が変じて背綿帯になったという話しも聞きますしね」
「変なの」
「雲とは違うの?」
今度はジュディが尋ねた。
「雲とは違いますが、見た目は非常に良く似ています。背綿帯は、はぐれてしまった本体を探し、元に戻ろうとします。中には音色を発するものもあり、お2人が見たと言うのはそういった種類の奴でしょうね」
「ビデオに録画出来なかったのはなぜなの?」
ジュディは、初めてその紫雲を見た時、咄嗟に持っていたデジカムで空を撮影した。しかし録画した映像を後で確認してみると、どうにも妙な事になっていた。一面の青空の中になぜか紫雲は映っておらず、聞こえていたはずの音も入っていなかったのである。
「背綿帯を知覚できるのは、生き物だけだからです」
「生き物だけ?」
「カメラのレンズには映らないものなんです。また、背綿帯が発する音は、背綿帯そのものであるため、それだけを切り取って保存する事もできません。背綿帯というのは、とても特殊な存在なんです。背綿帯の音を保存しておきたいと思うのなら、背綿帯そのものを捕獲するより他にありません」
「よく分からないわ。どうしてカメラに映らないの?」
「私にもよく分かりませんよ。まあ、背綿帯の姿を我々が知覚できるのは、光の屈折を瞳が捉えているからではない、という事なのでしょう。わかり易く言うと、背綿帯は目で見たり、耳で聞いたりするものではないのですよ。その瞬間その場所にしか存在できない、“時間”とよく似た存在なんです」
「目で見てないなら、何で見てるのよ?」
「……」
諏訪は口を開けたまま固まり、
「……心?」
言いながら、かくんと首を傾けた。
「心? ふうん」
「そうか。カメラに心はないもんね」
ラスティとジュディは言いながら、納得したように頷きあった。意外と素直な子供達である。
「それで、その“はいめんたい”は今どこにいるの?」
「何処に行けば見れるの?」
目をキラキラさせながら2人が問えば、
「分かりません。背綿帯の出現場所には特定の法則があるらしいですが、現段階ではまだ何とも言えませんね。情報が少なすぎます」
「なんだー」
「分からないのー?」
諏訪の答えに、がっくりと肩を落とした。
「手掛かりが全く無いわけではありません。背綿帯は生まれた神話の中から出られない。お2人がこの町で背綿帯を見かけたのなら、奴は必ずこの町のどこかに居ます」
「町の外には、出て行かないってこと?」
「その通りです。町の外には居ません。それだけは断言できますよ」
すぐさま双子は笑顔になった。まるで百面相だ。
「それから、手掛かりがあるとすればもうひとつ、音についてなのですが」
「音?」
「ええ。物悲しいメロディーだったとおっしゃいましたが、それが少し引っかかるんです。もしかしたら、その背綿帯は何か音楽と関係しているのかもしれません。音に纏わる場所を巡って行けば、出逢える可能性もあるのではないかと」
「音に纏わる場所……?」
「ええ。どこか心当たりはありませんか?」
双子は同時に首を傾げた。同時に左手を頬に当て、同時に右手を左肘に当てた。
「それは難しい質問だわ。ねえ、ジュディ?」
「難しい?」
諏訪の問いかけに、ジュディが答えた。
「だって、ウィンベルトは音の都だから。どこもかしこも音楽で溢れていて、どこって場所を絞るのは難しいよ」




(あっ)
運転席の左斜め後ろの席に深く腰掛け、窓から空を見上げていたみどりは、空の片隅にきらりと紫色に煌く何かを見つけた。
紫雲か?
目を凝らす。それは誰かの手を離れ、大気圏へと上昇していく紫色の風船だった。
……はあ。
溜息が零れた。早いところ紫雲を見つけ出してしまわないと、本当に双子達を車中泊させる事になりかねない。
神話に纏わる現象については、みどりより諏訪の方がずっと詳しいので、双子の相手はすっかり諏訪に任せ、みどりはひたすら紫雲を探していた。しかし目的の雲は一向に見つからず、車窓から外を眺めながら無駄に時間を過ごしているだけであった。
他にもっと良い手はないのだろうか、例えば空よりもっとずっと上空に飛び上がって、そこからウィンベルトを見下ろし、町にかかる雲の中から紫色を見つけ出すとか。
無理だ。
ろくでもない妄想を中断して、みどりは真剣に雲を探す。途中ちらりと後ろの席を見ると、ジュディもラスティも、ほとんど窓に張り付くようにして、必死に空を監視していた。一方の諏訪は、だるそうな顔をしながらも、窓枠に頬杖をつき、外のどこか高いところを眺めている。
(これはこれで、仕事中……)
小さく笑い、みどりはもう一度空へと視線を戻す。空を見上げていないのはカレスだけで、彼は今『ウィンベルト中を万遍なく走り回る』という大事なお題に取り組んでいる最中である。



走り回ること六時間弱。
結局紫雲は見つからず、くたくたになった一向は適当な広場にバスを止めた。
日は沈みかけていた。闇が濃くなるウィンベルトでは、定食屋がシャッターを閉め、変わりに居酒屋の明かりが灯り初めた。
(そろそろ、双子を家に帰さないと)
住所はまだ分かっていないが、彼らを乗せた近辺に自宅があるに違いない。顔を上げ続けたせいで痛んだ首をさすりつつ、みどりはよいしょと座席から立ち上がった。
シルバーシートに座る双子は、何やらこそこそと小声で話し合っていた。その目がツヤツヤと怪しく光沢を放ち、みどりは思わず身構えた。
夕陽の差し込む車内。
赤く染まるシートの上で、双子の周りにだけ、濃い影が溜まっているようだった。
「車掌さん」
ふとラスティが言って、双子が座席から立ち上がる。
「今日は手伝ってくれてありがとう。雲が見つからず残念だけど、とっても助かったし、楽しかったわ」
「僕達、やっぱり今夜は家に帰る事にするよ。ママが心配するし、ずっと席に座っていて疲れちゃったしね」
「……そうですか」
茜色の向こうから大きな何かがやって来て、今にも双子を捕らえてどこかへ行ってしまいそうな、妙な錯覚に捕らわれる。
なぜだろう? みどりは不思議に思った。
無邪気な目の前の双子が、とても儚く、弱々しく見えた。




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